繊細な猫の地球での暮らし。

化学物質過敏症とツインレイと無理せず生きてく

「るろ剣」と男性の闇

先日、実家へ寄ったら金曜ロードショー

るろうに剣心 伝説の最期 編」

やってたので見た。

 

 

今まではアクションにばかり目がいって

"悪が倒れた。めでたしめでたし"

の、勧善懲悪ストーリーとして捉えていた。

原作のほうは小学生の頃に

アニメを見てはいたが、

私には難しくてよく理解できなかったのも

あるかもしれない。

 

 

しかしいま改めて見ると違う感想を持つ。

 

剣心と薫は、明治という

新しい時代に入っていくために

武士として生きてきた男性の

それまでに付いた深い傷や

時代によって植えつけられた

価値観を改め癒し

女性も強くあるべきと、

各々が解決すべきことに

立ち向かうために引き離され

最期には再会に至ったのだろうと感じる。

 

志々雄と由美(調べて初めて名前を知った)は、

その過去の古い時代での価値観や

男性の力の誤った使い方を抱え込み

時代とともに自ら葬られていくかのように

消滅した。

一番救うべきはこの二人であったはずだし

救うことだってできたはずだ。

なのに

志々雄は剣心たちに圧倒的に追い込まれるも

剣心を倒すこと、国取りへの野心から

手を引くことなく業火に焼かれた。

それが二人の逃れられない運命であると

悟っていたかのように。

最期まで寄り添った由美はそれを感じ取り

そばに居続けていたのではないだろうか。

 

それぞれがそれぞれの使命を生きた。

そう思った。

 

 

またその晩、夢を見た。

 

たくさんの武士や兵士たちが

刀剣を手に、笑顔で、楽しそうに

刺しあったり斬りつけたりしていた。

「ズクシュ」と、効果音までつけて。

 

そもそもは、刀剣で斬りつけるのが

武士たちにとっては楽しくて

たまらなかったのかもしれないと思った。

 

現代の社会からみれば

なんとも不謹慎極まりないが、

戦国時代には、戦に勝ったと決まっても

残党狩りや一家皆殺しなど

極端なまでの殺戮が行われた。

根絶やしの意味はもちろんあるのだろうが

異常すぎるんじゃなかろうか。

そうするとやはり、楽しんで殺しを

行なっていた部分があるのだろうか…。

 

武士の時代の婚姻年齢は早く 、

政略的に家に決められることが多かった。

運命の人なんて見つける暇もなかったろうし

もし見つけても結ばれるなんて夢のまた夢。

心が満たされるなんて、あったのかどうか。。

そして武家に生まれようが平民に生まれようが

みな毎日が生きるか死ぬかの命がけ。

 

もし、殺しを行うのが

"楽しい"ものであったのなら、

危険とわかっていながら

仕事として殺しを行える武士を

志願する者が多かったのも頷ける。

家のためとかいろいろすっとばして、

"楽しいことができる"から。

苦しいことから逃れるために。

 

それにそもそも男性は古代

食料調達のために狩猟をしていたのだ。

獲物を仕留めては今日のメシが食える、

家族に食わせてやれると、

喜びに満ちて殺しを行なっていたはずである。

よりたくさん食わすための工夫だって考える。

それが上手くいけば楽しいのは当たり前だ。

 

そう考えてみれば現代は

皮肉なまでに便利になった。

大半は食料を得るための殺しを

しないで済むのだ。

しかしそれが男性の生き甲斐とも言える

楽しい仕事を奪う結果となった。

獲物を仕留めなくては食っていけない

時代があったとはいえ

それを手放さなければならないなんて、

少々可哀想だと思う情けも出てくる。

魂としては、そんな時代の垢をも落とすために

"殺しは悪いもの"という価値観に

時代を書き変えさせたのだろうか。

 

かつて

"殺人ゲームをしている人のほうが

殺人を起こすリスクが少ない"

というのを聞いたことがある。

もしかしたら人々の魂の古い記憶に

そうした記憶が刻み込まれている

からなのかもしれない。

 

 

…と、物騒なことまで書きましたが

あくまで個人的な考えです。

知識も深くはないので

全くの的外れかもしれません(~_~;)

 

なんというか、剣心と薫を

描くきっかけにはなりました(*^^*)

(実写寄りね)

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